アンダーグラウンドへのこだわりについての考察
ヒップホップ界隈ではアンダーグラウンドという言葉がかっこいい物として使われている事があります。
「アンダーグラウンド」
上記の言葉を簡単に解釈すると、オーバーグラウンドではない。ポップスではないとなりそうに思われる。では「ジェイジー」「ケンドリックラマー」「トラビススコット」はヒップホップのかっこよさがないでしょうか?そうではないと思われます。では、アンダーグラウンドとは何か・・・
自分が思うそれは「リアル」であり「セルアウト」していないまだ発掘されていない素晴らしい作品、あるいは発掘はされていて「最高」の一つではあるが一般的ではない作品となりそうに思われます。
「ここに様々まとめると」
・最高にかっこいい曲だが、「地域」に根差した活動が多い為、全国区ではない物 = アンダーグラウンド
・最高にかっこいい曲だが、「リアル」を追求する余り、他にそんなに共感されない楽曲 = アンダーグラウンド
・最高にかっこいい曲だが、あまり宣伝されない為、埋もれている名曲 = アンダーグラウンド
・上記の理由があっても、噂を呼び売れている物 = ここが難しいラインですが、アンダーグラウンドと呼ばれる事もある。「ジュラシック5」等
・かっこ悪くて売れない曲 = これも状況はアンダーグラウンドである
上記のように、アンダーグラウンドには様々な理由があると思う。ただ日本にマイナーな物「アンダーグラウンド」である = かっこいいという偏った考え方の「アンダーグラウンド」を主張される時がある、もちろん言葉としては間違っていないが、大きな違いがあると思われる。また売れてオーバーグラウンドに行った事に対して、だからかっこ悪くなったと主張する人も多くいる。
オーバーグラウンドに行って「セルアウト」を感じたり「リアル」がなくなった場合、もちろんかっこ悪くなると思う。ただ売れただけでかっこ悪くなるとするならばそれは「アンダーグラウンド」という言葉とかっこよさを強く結びつけているだけではないだろうか?
「大多数」が聞いていればかっこいいという思想は、もっと嫌いなのだが・・・・
立日楽の楽曲「好印象」

※ 現段階では 自分も売れているわけではないため 完全な「アンダーグラウンド」ではあります・・・
是非、聞いてみてください。