サンプリングとパクリについての考察
サンプリングというヒップホップ独特の文化が楽曲制作において大きな大きな革命であったことは確かで、それによって楽器を持たない層にもビートメイクが可能になりました。
「サンプリング」
上記の言葉の通りサンプルする事、楽曲の良いフレーズを借りて違う曲を作り上げていく事を言います。長いフレーズをサンプルする事もありますし、小さな小さなフレーズをサンプルする事も沢山あります。完全に元ネタの面影が無い曲も多数存在します。ここで問題なのがどこまでがサンプリングでどこからがパクリなのかという事です。これはアメリカでもずっと議論されている事であり、最初は大丈夫だったのに途中からいきなり訴えられたりもするようです。
「ここに様々まとめると」
・長いサンプリングで元ネタがすぐわかる名曲 = サンプリングで訴えられてもいない
・短いサンプリングで元ネタがわからない名曲 = サンプリングで訴えられてもいない
・長いサンプリングで元ネタがすぐわかる名曲 = 一例としてですが、訴えられている曲も多数(ぱくり)
・サンプリングはしているが売れていない為、問題になっていない = 議論に入っていない可能性
上記のように、サンプリングとパクリに、大きな差を見る事が出来ない気がします。同じサンプリングが同時期にされて片方だけが、訴えられるなどの事例もあり何とも言えないのが事実です。が、元ネタに尊敬があるか元ネタがもっと知られるようなサンプリングはありという方は沢山います。
これは楽曲作りではなく、リリックの部分でも多く存在します。昔の歌詞をサンプルしてそれの発展した形にしたり、それを面白く変えたり。これも問題になるのはやはり尊敬となるかもしれません。サンプリングやネームドロップが元でビーフになる事も多々あり、それがヒップホップの面白さではありますが、節度のないサンプリングはやはり問題が多く含まれると思われます。
立日楽の楽曲「相対性理論」
ヒップホップの奥の深さ、なによりヒップホップの無形文化の多角的な見え方、素晴らしい品格を追求したいです。